血統入門【第14回】欧州で飛躍したネヴァーベンド

今回はナスルーラ系の最後のお話ということで、

ナスルーラの最後の世代の産駒(ラストクロップ)である、

ネヴァーベンドの紹介をしていきたいと思います。

 

ナスルーラ自身は非常にスピードに優れた競走馬、種牡馬でしたが、

前にご紹介したトニービンやブラッシンググルーム、

そしてこのネヴァーベンドの系統の馬たちなどが、

いわゆる「スタミナ型ナスルーラ系」として存在感を発揮しています。

 

こういった種牡馬たちが現在のサラブレッドの多くの、

スタミナ源となっているのです。

 

ネヴァーベンド(1960年 アメリカ産まれ)

偉大なる種牡馬ナスルーラの最後の世代の産駒として、

この世に生を受けたネヴァーベンド

母ラランはネヴァーベンドの後に「ボールドリーズン(父ヘイルトゥリーズン)」も産んだ名繁殖牝馬でした。

 

ボールドリーズン自身はアメリカで競走馬として活躍しましたが、

その後種牡馬としてサドラーズウェルズ、フェアリーキングの母である、

フェアリーブリッジを輩出します。

 

つまり、このラランという繁殖馬が後に欧州競馬にもたらした影響は、

ものすごく大きい!という訳ですね。

 

ネヴァーベンドアメリカで早くから活躍し、

最優秀2歳牡馬の称号を獲得します。

 

3歳時にクラシックレースを勝つことは出来ませんでしたが、

ケンタッキーダービー2着、プリークネスステークス3着と、

善戦しました。

 

23戦13勝。

決して超一流の戦績では有りませんでしたが、

アメリカ競馬にしっかりと爪痕を残して種牡馬入りしています。

 

種牡馬になったネヴァーベンドは、

ナスルーラゆずりの柔軟性を発揮し、

母方の血の特性をしっかりと反映させた優れた産駒を数多く輩出しました。

1971年には、英・愛のリーディングサイアーに輝いています。

 

中でも特に際立っていた優秀な産駒が、

数多くのG1を制して「欧州競馬史上屈指の名馬」と言われている、

ミルリーフでした。

 

■ミルリーフ(1968年 アメリカ産まれ)

 

ミルリーフ | 競馬データベース | JRA-VAN Ver.World

 

ミルリーフは産まれこそアメリカですが、

その後イギリスに渡って調教されてデビューしました。

 

2歳時は6戦5勝。

イギリスでは2着馬に8馬身差をつけたレースも有っての負けなしで、

「10年に一頭の逸材」と言われたミルリーフでしたが、

唯一フランスに遠征したロベールパパン賞で、

地元の名馬「マイスワロー」の2着に敗れてしまいました。

 

3歳の5月。

イギリスクラシック初戦の2000ギニーで1番人気に推されたミルリーフは、

2歳時の雪辱を果たすべく、逃げた2番人気のマイスワローを直線で交わします。

しかし・・・そこに後方から3番人気の刺客が現れ、

ミルリーフに3馬身差をつけたところがゴール。

その馬はデビュー以来15連勝を達成し、

後に世界の名馬100選でも第三位に選ばれた名馬「ブリガディアジェラード」でした。

(※もう、名前からして強そうですよね笑)

 

そして、、、

この強力すぎるライバルに敗れたレースが、

ミルリーフの最後の敗戦となりました。

 

その後は

英ダービーを2馬身差

エクリプスSを4馬身差

キングジョージⅥ&QESを6馬身差

凱旋門賞を3馬身差

ガネー賞ではなんと10馬身差!

そして引退レースとなったコロネーションCではクビ差だったもののきっちりと勝ちきって、

全て1番人気でG1競争を6連勝するという偉業を成し遂げています。

 

生涯で14戦12勝。

今もなお、この馬を最強馬として推す声があるのも納得できる、

素晴らしい競走成績です。

 

種牡馬入りしたミルリーフは、

●英・愛ダービーシャーリーハイツ

イナリワンオサイチジョージなど日本競馬の英雄を輩出したミルジョージ

ローエングリンを産んだ名繁殖牝馬カーリングの父「ガルドロワイヤル」

●坂路の申し子ミホノブルボンの父「マグニテュード」

などの後継を輩出し、一時期その父系繁栄の兆しを見せます。

 

しかし時代との相性か。

それともその重厚さが仇になってしまったためか。

現在は父系としては衰退していて、

ひたすら母系に入りその類まれなるスタミナを子孫たちに伝え続けています。

 

菊花賞などでミルリーフの血を持つ馬を見つけたら、

要チェック!です。

  

 

リヴァーマン(1969年 アメリカ産まれ)

こちらはアメリカで産まれ、フランスやイギリスで活躍した後継馬です。

ミルリーフとリヴァーマンが、

ネヴァーベンドの高い欧州適正を確立した種牡馬と言えるでしょう。

 

生涯で8戦5勝。

フランスの2000ギニーイスパーン賞を勝ちましたが、

キングジョージとチャンピオンSで、

ミルリーフも敗れたブリガディアジェラードの後塵を拝しています。

 

リヴァーマンの後継種牡馬としてちょくちょく日本馬の血統表で見かけるのは、

アイリッシュリヴァー」と「リヴリア」くらいでしょうか。

 

アイリッシュリヴァーの産駒ではパラダイスクリークの名をちょくちょく見ますし、

リヴリアは日本の名馬ナリタタイシンの父です。

 

あとは、血統好きな方やウオッカのファンの方なら目にしたこともあるでしょう、

「ルション」ですね。

こちらは名牝ウオッカの母の父です。

  

欧州でその血を広げたものの、

やがてスタミナにシフトしすぎた適性が邪魔をしたのか、

父系としては衰退していったネヴァーベンドの血。

 

そのネヴァーベンドの血と非常に高い相性を示し、

ミルリーフとリヴァーマンのスタミナの源泉となっているのは、

以外にもアメリカで活躍したプリンスキロという名ステイヤーの血でした。

 

ネヴァーベンドナスルーラの産駒でしたね。

血統ファンの間ではニックスとして有名な、

「ナスキロ(ナスルーラ×プリンスキロ)」

「ボルキロ(ボールドルーラー×プリンスキロ)」

ですが、

「ネヴァキロ(ネヴァーベンド×プリンスキロ)」

とはあまり言われていないのが不思議なくらいです。

 

天皇賞春や、菊花賞などのスタミナと直線のキレが同時に問われるようなレースでは、

要注意ですよ・・・ネヴァキロは。

 

 

 

今回も最後までご覧頂きありがとうございました。

ではまた。