血統入門【第16回】変幻自在の名マイラーリファール

競走馬の能力や性格、適正に最も影響を与える父の血。

その次に、ときには種牡馬である父以上に産駒に影響を与える母の父

ブルードメアサイアー)という存在。

 

しかし日本近代競馬の結晶、

日本競馬史上最強馬と言われたディープインパクトの母の父の名を、

パッと思い浮かべられる方は、

意外と多くないのでは無いかと思います。

 

今日の主人公は、そんなディープインパクトや、

ディープの兄でありキタサンブラックの父であるブラックタイドなど、

日本競馬の名馬たちにも大きな影響を与えた種牡馬の紹介です。

 

ノーザンダンサー種牡馬の第二弾。

ノーザンダンサーの息子の中でも特にキャラクターの掴みにくい(?)、

リファールという馬についてお話をしていきます。

 

■リファール(1969年 アメリカ産まれ)

 

Lyphard - Twitter Search

 

リファールはニジンスキーと異なり、

ノーザンダンサーにそっくりなずんぐりとした短い馬体の持ち主でした。

 

リファールが産まれたのは、

ノーザンダンサーのブレイクを巻き起こしたニジンスキーが三冠制覇をする1年前ですから、

まだ「ノーザンダンサー産駒」としての評価も得ることが出来ない時期でした。

セリでもあまり人気が出なかった彼はフランスの馬主に購入され、

フランスへ渡ることとなります。

 

ノーザンダンサー同様、馬体の見栄えの無さから決して優遇されなかったデビュー前のリファール。

しかし外見だけでなく、

父のストロングポイントである種牡馬としての汎用性や柔軟性、

そして何より36歳まで生きた生命力と言った優れた部分を、

同時に受け継いでいたのもこのリファールという馬でした。

 

フランスで調教されたリファールは、

2、3歳のシーズンをフランス、イギリス、アイルランドで活躍し、

生涯で12戦6勝の戦績を上げます。

 

2歳時は4戦2勝。

決して優れた戦績では有りませんでした。

 

3歳シーズンの初め。

この頃陣営はリファールの路線を「王道の中距離戦線」と定めていました。

同じ厩舎の僚馬であるネヴァーベンド系の名馬「リヴァーマン」が、

マイラーと見られていたため使い分けされる意図も有りました。

 

3歳初戦のラグランジュ賞(芝2000m)、

2戦目のダリュー賞(芝2100m)こそ勝利しましたが、

その後リファールの前に、「距離の壁」が立ちはだかります。

 

続く芝2100mのリュパン賞では4着敗退。

そして更に距離を伸ばした芝12Fの英ダービーでは、

なんと15着に惨敗してしまうこととなります。

(ちなみに、このレースの1着はのちの名種牡馬ロベルトでした。)

 

そのまま挑戦した3週間後の愛ダービーでも5着。

(ちなみにムラ馬だったロベルトはここで12着に敗れています。)

 

このレースを分岐点として、

陣営はリファールをマイル路線に。

そして中距離以上のレースへ適正を見せていたリヴァーマンを中距離路線に。

2頭の進路を入れ替えていく決断をします。

 

リファールはフランスへ渡り、

マイル戦の最高峰の舞台であるジャックルマロワ賞でマイル路線の強豪に挑みます。

 

このレースを後方から進めたリファールは高いマイル適正を発揮し、

2着の強豪馬ハイトップをハナ差退けて、

初めてのG1タイトルを獲得します。

 

マイル2戦目のムーランドロンシャン賞では惜しくも2着でしたが、

引退レースとなった芝1400mのフォレ賞では、

再び優れたスピードを見せつけて2つ目のG1タイトルと、

この年のフランス最強マイラーの座を奪取します。

 

このレースを最後に3歳時8戦4勝の戦績で引退し、

種牡馬入りすることとなりました。

 

種牡馬としてのリファール

デビュー前はノーザンダンサーに似た小柄な馬体が評価を落とす理由となったリファールでしたが、

引退した頃には競馬界はノーザンダンサーブームに火がついた後でした。

 

ノーザンダンサーに似た馬体を持っていたリファールは、

後継種牡馬として初年度から大いに期待されました。

そしてその期待を裏切ることなく、

1978年、79年には仏リーディングサイアーに。

そして1986年には米リーディングサイアーに輝き、

その優れた遺伝力と汎用性を示します。

 

後継種牡馬としては、

まず1976年の産駒である「モガミ」と「ベリファ」。

特にモガミは日本でも種牡馬として活躍した馬なので、

その名に聞き覚えが有る方も多いと思います。

●ダービー馬「シリウスシンボリ

●日本中央競馬史上初の牝馬3冠「メジロラモーヌ

ジャパンカップを制した「レガシーワールド

などの父となった種牡馬です。

 

ベリファは息子のメンデスを通じて、仏リーディングサイアーのリナミクスを出し、

その血をつなげています。

 

そして1980年の「アルザオ」。

競走馬としてはイタリアのG3を勝った程度の全く目立たない馬でしたが、

種牡馬として活性力に優れ、

稀代の名繁殖牝馬ウインドインハーヘア」を輩出します。

ウインドインハーヘアはその後日本でブラックタイドディープインパクトの母となる訳ですから、

日本競馬のみならず、世界の競馬に与えた影響は計り知れませんね。

 

日本競馬の至宝ディープインパクトの母の父は、

なんとイタリアのG3馬だったのです。

 

その後1983年にアメリカで誕生した「ダンシングブレーヴ」は、

その後欧州で活躍し、欧州競馬史上最強馬と言われる一頭であり、

文句なしにリファールの最高傑作かつ筆頭後継種牡馬となりました。

同じ年にアメリカではもう一頭「マニラ」という馬が産まれていて、

この馬は後にアメリカの年度代表馬となっています。

アメリカの地で、リファールの最も優れた産駒が産まれた年でした。

 

ダンシングブレーヴ種牡馬としても優れていて、

日本でも活躍しました。

産駒や子孫たちも日本競馬で大活躍し、

●イギリスで走って日本で種牡馬として活躍したコマンダーインチーフ

イングランディーレスマイルトゥモローアサクサキングスの父ホワイトマズル

エリザベス女王杯馬「エリモシック

桜花賞など重賞5勝の「キョウエイマーチ

福永祐一と挑んだクラシックから高松宮記念まで様々な距離で活躍した世界的良血馬キングヘイロー

牝馬2冠の「テイエムオーシャン

など非常に幅広い適性を持った個性的な産駒を送り出しています。

 

母の父としてはスイープトウショウメイショウサムソンを出していることで有名ですね。

非常にタフで優れた能力を伝える種牡馬です。

 

 

父に似た容姿によってその評価を左右されたフランスの名マイラー、リファール。

種牡馬としては自身も産駒も母系の良さをしっかりと引き出す特徴を見せ、

その血の影響力を世界的に拡大させて行きました。

 

日本競馬のG1で最も長距離である天皇賞・春の舞台で、

生涯最高のパフォーマンスを見せたと言われているディープインパクト

 

そのディープインパクトの無尽蔵のスタミナは、

彼の母系に眠る伝統のイギリス血統によるものが大きいと言われています。

それをリファールの息子である、母父アルザオが引き出しているのです。

 

そして直線での異次元の末脚と中距離でのスピード。

それはリファール自身のマイラーの資質が、

遺伝した事によるものだったのかもしれません。

私は今でもそのように考えています。

 

今回もご覧いただき誠にありがとうございました(^^)

ではまた次回。