血統入門【第17回】社台の英雄ノーザンテースト

基本的には気性面や健康面に弊害が発生しやすいと言われている強いインブリード

私は武市銀治郎氏の「血の活性化論」に大きな影響を受けていて、

特に競馬予想や出資馬検討をする際などは、

インブリードの濃淡に注目して検討をしていますし、

武市氏の定義している「高齢生殖能力馬」や「北米異系活性馬」、

「世界の複数地域で活躍馬を出している種牡馬」などを重視して考えています。

 

今回はノーザンダンサー系の後継種牡馬第3弾。

主人公のノーザンテーストレディアンジェラ」という繁殖牝馬の「3×2」という非常に強いインブリードを持った馬です。

(少しややこしいですが、「父親の父方のおばあちゃん」と「自分自身の母方のおばあちゃん」が同じという事なので、人間で例えるとあり得ないくらいの近親ですね。)

 

そんな非常に近い血のクロスを持ちながら、

彼は33歳で老衰のため亡くなるという大往生を遂げた、

非常に健康で丈夫な逞しい馬でした。

 

そして種牡馬としても数々の優秀な競走馬の礎となって、

今日の日本競馬会最大の牧場組織である、

「社台グループ」の繁栄に多大なる貢献をしています。

 

そんなノーザンテーストの馬生とは・・・?

なぜ彼は、「日本で」種牡馬としてこれだけの活躍をするに至ったのか?

 

今回はそのお話をしていきましょう。

 

ノーザンテースト(1971年 カナダ産まれ)

 

多すぎるノーザンテースト最後の大物まとめ - NAVER まとめ

 

父は世紀の大種牡馬ノーザンダンサー

祖父のニアークティックは、「レディアンジェラ」という名の繁殖牝馬を母に持っていますが、

ノーザンテーストの母「レディヴィクトリア」も、

その母に「レディアンジェラ」を持っている馬でした。

 

ノーザンテーストの血統表

血統シリーズ各論(第15章:ノーザンダンサー系 ノーザンテースト) - 谷中小学校の一口馬主blog

 

レディアンジェラという馬は、大種牡馬ハイペリオン(第4回の主人公でした)」の産駒なのですが、

このハイペリオンという馬は時代の流れで父系としてこそ衰退してしまっているものの、

母方に入る血としては世界中のサラブレッドに底力を与えている偉大な種牡馬です。

 

 

そんなハイペリオンの娘であるレディアンジェラの血を濃く持ったノーザンテーストは、

見た目もハイペリオンそっくりの小柄で短躯の馬体を持ち、

後に種牡馬としても、ハイペリオンと同じように母方に入って絶大な影響を及ぼす血として、

今日のサラブレッド達を支える存在となっています。

 

現役時代のノーザンテーストは、

その生涯成績が20戦5勝。

当時革命を起こしていたノーザンダンサーの産駒としては、

比較的地味な競走成績でした。

 

1歳の時、

アメリカのセリ市に出されていたノーザンテーストは、

当時の社台グループの総帥である故・吉田善哉氏の命を受けて、

アメリカにノーザンダンサー産駒を買い付けに来ていた吉田照哉

(現社台ファーム代表)と、運命の出会いを果たします。

この出会いによって、

彼は後に日本で長きに渡ってリーディングサイアーの座に君臨し、

日本競馬に「ノーザンダンサーの血の威力」をもたらすことになります。

 

社台グループの持ち馬としてフランスに渡ったノーザンテーストは、

フランスで競争馬としてデビューし、2歳時に4戦2勝。

 

年が明けた3歳時にはイギリスのクラシックに挑戦し、

英2000ギニーで4着、英ダービーで4着と善戦します。

 

その後再びフランスへ戻ったもののなかなか勝ちきれませんでしたが、

芝1400m戦のフォレ賞でついに初G1制覇を果たすこととなりました。

 

種牡馬としてのノーザンテースト

1975年。

4歳になったノーザンテーストは、

予定通り日本に渡って種牡馬としての生活をスタートします。

 

種牡馬入りした当初、彼はその風変わりな姿から、

他の生産者たちからかなりバカにされたというエピソードがあります。

頭が大きく、胴や脚が短いノーザンテーストを、

「犬のような馬」「ヤギをアメリカから買ってきた」と人々は揶揄しました。

 

しかしそんな前評判や自身の競争馬としての決して高くない評価を全て嘲笑うかのように、

種牡馬としては凄まじい活躍を見せることとなります。

 

1982年に初めて日本のリーディングサイアーの座を奪取すると、

そこから1988年まで7年連続リーディング。

1989年に1年だけミルジョージにその座を譲りますが、

1990年から92年まで、再び3年連続リーディングに輝きます。

 

そして上記したとおり、

彼はハイペリオンと同じく、

「母の父(BMS)」としては更に優秀な種牡馬成績を収めます。

なんと1990年〜2006年まで17年連続でリーディングBMS

2007年以降サンデーサイレンスにその座を明け渡すまで、

17年連続で「日本で最も優れた母の父」で有り続けたのです。

 

残念ながらすでに父系としては衰退してしまっていますが、

彼が遺した偉大な産駒たちを見ていきましょう。

 

ノーザンテーストの産駒(後継牡馬)

ダイナガリバー日本ダービー有馬記念など)

アンバーシャダイ有馬記念天皇賞・春など)

 メジロライアンメジロブライト 

ギャロップダイナ天皇賞・秋安田記念など)

●アスワン(NHK杯など)

 →メジロアルダン

マチカネタンホイザ目黒記念AJCC高松宮杯など)※最高賞金獲得産駒

ノーザンレインボー中山大障害

ビッグテースト中山グランドジャンプ)※最後のG1(J・G1)勝馬

 

活躍馬を多く輩出したものの、

メジロライアンメジロブライトのラインが一時期活躍したくらいで、

父系としてはほとんどラインを継続・発展出来ませんでした・・・

このあたりはポテンシャルの問題ではなく、

当時の母系血統との相性も大いに関係していたでしょう。

サンデーサイレンスも、まだいない時代でしたからね。

 

ノーザンテーストの産駒(牝馬

 ●シャダイアイバーオークスなど)

ダイナカールオークスなど)

 エアグルーヴ

アドラーブルオークスなど)

シャダイソフィア桜花賞など)

ダイナアクトレス毎日王冠スプリンターズSなど)

 →ランニングヒロイン(スクリーンヒーローの母)

ダイナフェアリーオールカマーエプソムカップなど)

 →ローゼンカバリーサマーサスピション

 

■母の父ノーザンテーストの代表馬たち

サッカーボーイ(父ディクタス)

イブキマイカグラ(父リアルシャダイ

サクラバクシンオー(父サクラユタカオー

サクラチトセオー(父トニービン

●フラワーパーク(父ニホンピロウイナー

エアグルーヴ(父トニービン

ファストフレンド(父アイネスフウジン

アドマイヤコジーン(父コジーン)

デュランダル(父サンデーサイレンス

ダイワメジャー(父サンデーサイレンス

アドマイヤマックス(父サンデーサイレンス

エアメサイア(父サンデーサイレンス

ダイワスカーレット(父アグネスタキオン

●カンパニー(父ミラクルアドマイヤ

トーセンジョーダン(父ジャングルポケット

 

こうして見ると、

日本の優れたサイアーたちと抜群の相性を示して、

多彩な産駒を輩出しているのが分かります。

 

中でも、サンデーサイレンス系やトニービン系の種牡馬との間から、

超大物の子孫を出していて相性抜群です。

 

ちなみに、、、

基本的に自身が血の凝縮効果によって天才的競走能力を持って産まれてきても、

血の濃さによる「自然の警告」によって優秀な繁殖成績を極めて残しづらいと言われている近親配合馬。

 

ノーザンテーストがこれだけ濃いインブリードを持ちながら、

優れた子孫を数多く輩出し血を残せたのは、

クロスしたのが「高齢生殖能力馬であるハイペリオン」であり、

サラブレッドの中では異系であった「カナダの活性血統」であったためと考えられます。

極めて健康で逞しい血の凝縮効果によって生み出された名種牡馬が、

ノーザンテーストという馬だったのです。

 

 

そしてそんな彼も、

後に「ノーザンテーストの4×3」のクロスによって、

世界にその名を轟かせる世紀の名馬を出すことになります。

いずれ、その馬の話もしていきたいですね。

 

今回も最後までご覧いただき有難うございました(^^)

ではまた次回。