それは他の多くの種牡馬と異なり、
競走馬として優れた産駒だけではなく、
怪我や病気に泣いて競走馬として大成できなかった産駒ですらも、
後に一大勢力を築く大種牡馬となっているところです。
それが一頭だったならばそれほど珍しいことでは無いのかもしれません。
しかし彼の産駒はとにかく自身が一流競走馬であろうがなかろうが、
母系が良血であろうがなかろうが、
多数の後継種牡馬が未曾有の成功を収めたところに、
その凄さが感じられます。
今回の主人公、
カナダに産まれ、後に北米で大嵐を生む事になるストームバードも、
決して競走馬として成功した馬では有りませんでした。
そんな彼がどのようにして、
今日までその名を残すことになったのか。
今日はそのお話をご紹介していきましょう。
■ストームバード(1977年 カナダ産まれ)
ストームバードは
父ノーザンダンサー、母サウスオーシャンと全姉にノーザネットという、
カナディアンオークス馬がいる良血馬でした。
(この頃のカナディアンオークスとはダートの9ハロン戦だったので、
芝のクラシックディスタンス戦では有りません。)
1歳時のアメリカのセリ市場で100万ドルという高値で購買された彼は、
欧州アイルランドの名伯楽、ヴィンセント・オブライエンの厩舎に入厩します。
2歳7月にアイルランドのカラ競馬場の芝6F戦でデビューすると、
そのレースを6馬身差の圧勝。
その勢いのまま芝6F〜7Fの芝重賞を3連勝し、
4戦目にG1レースであるデューハーストステークス(芝7F)に挑みます。
このレースも制したストームバードは、
5戦全勝とパーフェクトな成績で2歳シーズンを終えます。
そしてこの年の英・愛2歳チャンピオンに輝いた彼を、
調教師のオブライエンは「ニジンスキーやザミンストレル(ノーザンダンサー産駒の名馬、名種牡馬)よりも優れた馬だ」という非常に高い評価で讃えています。
しかし・・・
そんな順風満帆なストームバードを、悲劇が襲います。
シーズンオフの間に悪意ある人間にたてがみやしっぽを切り取られてしまったり、
相次ぐ熱発や脚部不安によりレースを使えないまま1年近い歳月が過ぎてしまうのです。
結局凱旋門賞の前哨戦であるロンシャン競馬場のG3レースの5着を最後に、
そのまま競走馬としてのキャリアを終えることとなってしまったのです。
■種牡馬としてのストームバード
高額のシンジケートを組まれて種牡馬入りしたストームバード。
牝馬ながら英オークスに続いて愛ダービーを制覇した「バランシーン」や、
5連勝で仏オークス馬となり、その後も英チャンピオンステークスやイスパーン賞など複数のG1を制した「インディアンスキマー」
など・・・素晴らしい産駒を送り出しました。
そしてストームバードは、
北米に大きな砂嵐を起こす事になる筆頭後継産駒を輩出します。
今日の日本競馬でも非常に有名な血となっている「ストームキャット」です。
血の宿命でしょうか。
走り急ぎ、2歳で燃え尽きたかのようなキャリアの父を持ったストームキャットもまた、
同じように2歳時に6戦3勝、2着3回(うちG1を1勝)という優れたキャリアを上げ、
3歳は秋に2戦(1着、4着)したのみで現役を引退しています。
しかし父同様に、いや、それを遥かに凌ぐ種牡馬としての優秀さを、
ストームキャットは発揮して一大系統を築く事になるのです。
(※この馬も一大系統を築く種牡馬であり、日本競馬における影響力も凄まじいものがありますので、別途ストーリーを書いていきたいと思っています。)
父として、そしてそれに負けず劣らず母の父として。
ダートを中心に芝でも活躍する優駿たちを数え切れないほど競馬場に送り出している、
根幹種牡馬です。
産駒はアメリカを中心に、各地で重賞を勝ちまくりました。
詳細は後の記事に譲るためここでは割愛しますが、
今回は日本で有名な後継種牡馬達を、
ご紹介して行きましょう。
●ヘネシー
→ヨハネスブルグ、サンライズバッカス、ヘニーヒューズなどを輩出。
母の父としてはミスエーニョ(ミスエルテの母)、モズアスコットなどを出しています。
モズアスコットの驚異的なダート適性の源泉ですね。
→比較的芝適正に優れた血で、
シャマルダル、スズカコーズウェイ、エーシンジーライン、エイシンアポロン、アスターペガサスなどの産駒が日本競馬で活躍しています。
→母にシーキングザパールを持つ良血馬。芝・ダート双方に適正があり、
ダートのG1(中央・地方)を2着9回という実に惜しいキャリアの持ち主です。
■母の父として
●アユサン
●リアルスティール、ラヴズオンリーユーの兄妹
などのG1馬を輩出しています。
とくにディープインパクトとのニックスは、
ものすごく有名ですね。
おそらく一口出資やPOG指名でこの組み合わせを重視した方は、
かなり多いんじゃないかと思います。
ともに不完全燃焼な競走生活となった、
ストームバード、キャットの親子。
しかし彼らが北米で起こした嵐は時代と共に大きくなり、
今もなお地域を超えて欧州、そして我が国日本で多くの競馬場で吹き荒れています。
今日においても非常に重要な種牡馬であるストームキャットの詳細な活躍ぶりは、
またぜひ別の機会で記していきたいと思います。
本日も最後までご覧いただき有難うございました(^^)
ではまた次回。