血統入門【第22回】革命者を超えたサドラーズウェルズ(前編)

20世紀末の1999年。

 

唯一後塵を拝した偉大なライバルを悲劇が襲った後、

 国内最高峰のレースを制した日本の怪鳥エルコンドルパサーは、

遠く海を渡りフランスを戦場に選びます。

 

馬場の違いにしばらく戸惑ったエルコンドルパサーは初戦のイスパーン賞(G1)こそ4分の3馬身差の2着に敗れますが、

その後急速に状態も上向いて、

サンクルー大賞(G1)、フォア賞(G2)を連勝します。

 

そして迎えた欧州、いや世界で最高の舞台である大目標の凱旋門賞

この年の現地は悪天候が続いていて、

当日も午前まで雨が降っていました。

 

ただでさえ重たいロンシャンの芝は、

1972年以降でもっとも水分を含んだ柔らかい悪馬場というコンディションの中、

14頭の出走馬でエルコンドルパサーを含めて実に8頭がG1馬という最高の顔ぶれで、

レースを迎える事となります。

 

スタートが切られると同時に、

最内のエルコンドルパサーは果敢に先頭に立ちます。

そして最大のライバルと目されていたフランスの名馬モンジューは、

中段でレースを進めていました。

 

迎えた直線。

2馬身の差をキープしたままエルコンドルパサーは徐々にその差を広げ、

逃げ切りを図ります。

 

残り100m。

外に持ち出したモンジューが並びかけます。

 

一度前に出たモンジュー

最後の力を振り絞って差し返そうとするエルコンドルパサー

 

しかし半馬身及ばずモンジューに遅れたところが、

ゴールとなってしまいました。。。

 

このレースの後、

そのあまりの素晴らしいレースぶりに対し現地のメディアは、

「チャンピオンホースが2頭いた」というタイトルで、

日本から単身来仏し、勇敢に戦い続けたチャレンジャーを讃えています。

 

・・・今でも伝説になっている日本史上最強馬の、

有名なエピソードです。

そして実はこのレースは血統的な面で見ると、

サドラーズウェルズの息子(モンジュー)」VS「サドラーズウェルズの孫であり近親(エルコンドルパサー)」の戦いでもあったのです。

 

我らが日本が誇る競走馬が世界の最高峰に最も近づいたこのレースは、

欧州で長く長く続くサドラーズウェルズ政権の、

非常に重要な1ページを飾ったレースでした。

顕彰馬発表!エルコンドルパサー、殿堂入り」:予想王TV@SANSPO.COM

 

サドラーズウェルズ(1981年 アメリカ産まれ)

アメリカの地で父ノーザンダンサーと、

フェアリーブリッジ(名種牡馬ヌレイエフの半姉)の間に産まれたこの馬は、

ロンドンの「サドラーズウェルズ劇場」からその名前を付けられました。

 

アイルランドの名伯楽であるヴィンセント・オブライエンの厩舎に入厩したサドラーズウェルズは、

2歳時に芝7Fと8Fのレースを勝利して、2戦2勝のキャリアでシーズンを終えます。

 

3歳になって初戦。

同馬主、同厩舎の盟友エルグランセニョールとの能力比較の目的で、

同じレースに出走することとなります。

 

このレースでエルグランセニョールに敗れたサドラーズウェルズは、

盟友にイギリスクラシックの主役路線での活躍を譲り、

自身は裏街道のローテーションを進みます。

 

芝10Fの愛ダービーのトライアルレースを勝利し、

愛2000ギニーも勝利します。

この時サドラーズウェルズの3着だったセクレトという馬が、

その後英ダービーに出走し、

英2000ギニーを勝ってダービーに駒を進めてきたエルグランセニョールを僅差で打ち破るという、

皮肉な出来事が有りました。

 

仏ダービーに駒を進めたサドラーズウェルズは、

ネヴァーベンド系の名馬ダルシャーン」、

レッドゴット系で後に凱旋門賞馬となるレインボウクエスト

という一流馬と対戦することとなります。

 

後に名種牡馬となるこの3頭は激しい三つ巴のレースを繰り広げ、

先に先頭に立ったサドラーズウェルズを、

ダルシャーンが差し切ったところがゴールでした。

レインボウクエストは3着)

 

その後エクリプスSという芝10Fのレースを勝ち、

芝12Fのキングジョージを2着。

芝10Fのベンソン&ヘッジス金杯で4着に敗れた後、

同じく芝10Fの愛チャンピオンSを勝って3つ目のG1タイトルを手にします。

 

そして欧州最高のレースである凱旋門賞の日を迎えます。

しかし1年間トップクラスの舞台で戦い続けたサドラーズウェルズに、

この頂点を決めるレースで好走する余力は残っていませんでした。

 

勝ち馬の18馬身差の8着という結果に終わると、

このレースを最後にターフを去ります。

生涯成績11戦6勝2着3回という、素晴らしい競走成績でした。

 

 

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種牡馬としてのサドラーズウェルズ

もはや、今の欧州芝×中長距離という舞台において、

サドラーズウェルズの血は必須要素になっていると言っても過言では有りません。

日本競馬で言う、サンデーサイレンスのような存在ですね。

 

再度、サドラーズウェルズの血統について記載します。

父は大種牡馬ノーザンダンサー

母は2戦2勝で引退したフェアリーブリッジ

祖母(2代母)は名繁殖牝馬スペシャルで、ヌレイエフの母でもありますので、

サドラーズウェルズはヌレイエフと4分の3同血」という事になります。

スペシャルの母(サドラーの3代母)である「ソング」も名繁殖牝馬で、

スペシャルの他にサセックスSやセント・ジェームズ・レパスSなど7勝を上げた「サッチ」や、

コロネーションSを勝った名牝「リサデル」を産んでいます。

 

このリサデルという牝馬

繁殖に上がり、アメリカの三冠馬シアトルスルーとの間に「グレンベアー」という牝馬を産みます。

 

そしてグレンベアーとサドラーズウェルズの間に、

サドラーズギャルというわかりやすい名前の牝馬が産まれるのです。

 

そう・・・怪鳥エルコンドルパサーの母ですね。

つまりエルコンドルパサーは、

「母の父がサドラーズウェルズであり、かつ母系がサドラーズウェルズと同じ馬」だったのです。

 

そしてエルコンドルパサーの父キングマンボは、

母が欧州マイルの女帝「ミエスク」です。

エスクは、サドラーズウェルズの近親ヌレイエフの産駒でしたね。

 

エルコンドルパサーとは、

非常に名繁殖牝馬スペシャルの血を色濃く持っている馬でした。

 

モンジューVSエルコンドルパサー

この世紀の一戦となった凱旋門賞は、

まさにサドラーズウェルズの血を強く受け継いだ馬同士の、

プライドをかけた名勝負、だったわけなんですね。

 

 

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さて、、、

種牡馬入りした当初、そこそこに高い評価を与えられていたサドラーズウェルズですが、

マイラー種牡馬であるヌレイエフの近親であり、

自身も10Fを超える距離のレースでは勝ちがなかったため、

当初は「産駒たちもクラシックディスタンス以上の距離は向かない」と見られていました。

 

しかし、彼はその驚異的な産駒成績でその評価を見事に覆す事となります。

 

欧州で長期に渡って主力系統の座を守り続け、

欧州の中長距離界を席巻しているサドラーズウェルズの血。

 

次回はその産駒たちについて話をして、

系統の繁栄ぶりを追いかけていきたいと思います。

 

今回もご覧いただき有難うございました(^^)

ではまた後編で。