血統入門【第26回】大物喰いのダービー馬ロベルト

荒ぶる気性と類まれなる競走能力を持ちながら、

わずか8ヶ月で競走生活を引退したヘイルトゥリーズン

 

種牡馬としての大きな功績の一つに、

今回の主人公、ロベルトを輩出した事が挙げられます。

 

種牡馬となって世界中で産駒が活躍し、

日本でも多くの子孫たちが大レースを制したロベルト。

底力に溢れ、特にタフなコースやレース展開で活躍し、

時にとんでもないジャイアント・キリングを見せてくれる逞しい血統のイメージがありますが、

競走馬時代からその血統的才能を遺憾なく発揮し、

大きな功績を残した馬でした。

 

今日は、そんなロベルトの現役時代の活躍と、

その系統の繁栄の様子を見ていきましょう。

 

■ロベルト(1969年 アメリカ産)

 

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父は2歳シーズンだけで18戦9勝(うちステークス競走7勝)という驚異的な成績を残し、

2歳チャンピオンに輝いた早熟の天才馬ヘイルトゥリーズンHail to Reason)」

 

母はコーチングクラブアメリカンオークスの優勝馬である「ブラマリー(Bramalea)

という馬で、

この母がロベルトのスタミナ源でした。

 

母の父は偉大な種牡馬ナスルーラの直仔で、

ミスタープロスペクターの母父でもある米2冠馬「ナシュア」。

 

ロベルト自身は欧州の芝レースを舞台に活躍した馬でしたが、

ヘイルトゥリーズン×ナシュア(米2冠馬)×ブルリー(北米の活性血統)×ブルーラークスパー(北米の活性血統)と続く血は、

充分なダート適性を後にロベルトの産駒たちに受け継ぐこととなります。

 

そんなロベルトはアメリカ合衆国ケンタッキー州のダービーダンファームで生まれ、

オーナーの所有している大リーグチームの活躍選手であった、

ロベルト・クレメンテからその名を付けられました。

 

アイルランドの名伯楽であったヴィンセント・オブライエンのもと送られたロベルトは、

1971年に競走馬としてデビューします。

 

アイルランドカラ競馬場でのデビュー戦(芝6F)を快勝し、

同じカラ競馬場のアングルシーS(G3 芝6F)、ナショナルS(G2 芝7F)でも勝ちを上げ、

アイルランドで3連勝を果たしました。

 

その後10月に遠征したフランスのロンシャン競馬場のグランクリテリウム(G1 芝1600m)は4着に敗れましたが、

アイルランドでの3連勝の実績が評価され、

その年のアイルランド最優秀2歳馬の座に輝きます。

 

3歳シーズンは王道のイギリスクラシック戦線で戦う道を選んだロベルトは、

W.ウィリアムソンを鞍上にG3戦を勝利し、

1冠目の英2000ギニーに挑みますが、

このレースは2着に惜敗してしまいます。

 

次走は栄光の英ダービーに出走する事になるのですが、

ここでロベルトを「悪役」にしてしまう一つの原因となる出来事が発生します。

ダービーの11日前の競走で主戦Jであったウィリアムソンが落馬して、

軽い怪我を負ってしまったのです。

幸いにも大した怪我ではなかったのですが、

陣営は万一の事態を危惧してウィリアムソンを降ろし、

代わってグランクリテリウム(4着)の時にロベルトに跨っていた名手レスター・ピゴットへと乗り替わらせてしまいました。

 

この采配に、ダービーへのチャンスを潰されたウィリアムソンに対して同情の声が挙がり、

そしてロベルト陣営への批判の声も高まりました。

 

しかしロベルトをヒール扱いする世論が彼のプライドに火を付けたためか、

ロベルトはアタマ差でラインゴールドを退け、

ダービー馬の栄冠を手に入れます。

 

その後アイリッシュダービーへ出走したロベルトですが、このレースでは12着と散々な結果となってしまいました。

ダービー馬の威信をかけて出走を決めた次走は、

この年から新設G1となったベンソン&ヘッジズゴールドカップです。

 

このレースには当時の2000m以下でのイギリスの最強馬で、

デビュー以来破竹の15連勝中であった稀代の名馬ブリガディアジェラードが出走を予定していて、

名馬リボーの記録である「16連勝」の記録に並ぼうとしていました。

 

当日、イギリス中の期待を背負うブリガディアジェラードが圧倒的な人気を背負います。

しかしロベルトは大衆の期待を嘲笑うかのように、

レコードタイムブリガディアジェラードを下してしまいました。

このレースの勝利によって、ロベルトの悪役としてのイメージはより一層定着することとなりますが、

「稀代の名馬ブリガディアジェラードに唯一土を付けた馬」として、

その確かな実力は後世まで語り継がれる事となりました。

 

しかしこのレースで燃焼してしまったためか、

その後は凱旋門賞に出走するも7着と大敗を喫し、

翌年にはコロネーションカップを勝ちましたが、

キングジョージ6世&クイーンエリザベスSで11着と大敗。

このレースを最後に競走生活を引退する事となりました。

 

生涯成績は14戦7勝(うちG1を3勝)という優秀な競走成績でした。

 

 

 

種牡馬としてのロベルト

中距離〜クラシックディスタンスでの底力。

大物食いのヒール役。

 

現役時代に見せたロベルトの競走馬としての資質は、

しっかりと後継となる産駒たちに受け継がれていきます。

 

産駒としては、

セントレジャーを制した「タッチングウッド」や、

ジャック・ル・マロワ賞を勝った「リアファン」、

アメリカの芝路線で活躍し、1988年エクリプス賞最優秀芝牡馬に輝いた「サンシャインフォーエヴァー」などが有名ですが、

特筆すべきは日本で自身やその産駒たちが、

種牡馬としても活躍した後継産駒たちです。

 

クリスエス(1977年 アメリカ産まれ)

藤沢和雄厩舎の名馬「シンボリクリスエス」を輩出した種牡馬です。

シンボリクリスエスは芝の一流レースではなかなか勝ちきれないという産駒が多く、

種牡馬としては苦戦気味でしたが、

名牝シーザリオとの間に産まれた「エピファネイア」が、

初年度産駒から牝馬3冠を制する「デアリングタクト」や、

菊花賞2着のアリストテレスを出すなど、

その血をしっかりとつなげています。

 

その他の産駒はダートでも好成績を残していますが、

芝の中距離を得意とする馬が多く出ました。

シンボリクリスエス以外では「アーチ」がBCクラシック勝馬の「ブレイム」を出すなど、

種牡馬の父としても成功を収めています。

 

 

リアルシャダイ(1979年 アメリカ産まれ)

 桜花賞馬の「シャダイカグラ」や、阪神3歳S勝馬の「イブキマイカグラ」、

中長距離の名馬「ステージチャンプ」などを輩出した名種牡馬ですが、

何といってもこの馬の最高傑作と言える産駒は、

淀に咲き淀に散った名ステイヤーの「ライスシャワー」でしょう。

 

ロベルトは現役時代に乗り替わりのダービーを勝ったことや、

サンシャインフォーエヴァーの記録を阻止したレースで、

「悪役」「ヒール」としてのエピソードが有名ですが、

ライスシャワーもそれを受け継ぐかの如く、

淀の長距離レースの舞台でことごとくヒール役を演じた名馬でした。

 

ミホノブルボンの3冠を阻止した菊花賞

メジロマックイーンの3連覇を阻んだ天皇賞・春

そして満開に咲いた淀の舞台で行われた宝塚記念で、

ライスシャワーはヒールの名を背負ったまま天国に昇ることとなってしまいました。

 

ロベルトの血を、

象徴するような底力と大物食いの力を宿した名馬でした。

 

シルヴァーホーク(1979年 アメリカ産まれ)

栗毛の怪物、グランプリホースの「グラスワンダー」を輩出した種牡馬です。

グラスワンダーのイメージ通り、

小回り急坂向きのパワーを伝える血で、

グランプリホースである「アーネストリー」や、

ウオッカディープスカイを下して人気薄でJCを制した「スクリーンヒーロー」を介して、

「モーリス」や「ゴールドアクター」などを輩出し、

その血を現在までつなげています。

 

ブライアンズタイム(1985年 アメリカ産まれ)

現役時代に名馬フォーティナイナーを下してフロリダ・ダービーを制するなど、

優秀な競走成績を収めた馬で、

1990年からは日本で種牡馬として活躍しました。

 

ノーザンテーストや同じロベルトを父に持つリアルシャダイ

そしてトニービンサンデーサイレンスといった大種牡馬たちと同じ時代に種牡馬となってしまったブライアンズタイムでしたが、

牡馬3冠を制したシャドーロールの怪物「ナリタブライアン」を筆頭に、

G1競走4勝の「マヤノトップガン」、ダートの名馬「タイムパラドックス」、

クラシック2冠馬「サニーブライアン」、牝馬2冠の「ファレノプシス」、

そして父娘でダービー制覇の偉業を成し遂げる「タニノギムレット」など、

非常に多彩な名馬たちを輩出しました。

 

 

世紀の名競走馬ブリガディアジェラードを下し、

自ら進んでヒールの汚名とジャイアント・キリングの名誉を引き受けた、

ダービー馬ロベルト。

 

彼の子孫達もまた、

偉大な記録を達成しようと意気込む名馬と対戦する舞台や、

強力なライバルが揃ったレース、

そして実力を侮られた人気薄の時にその魂に火を灯し、

観衆を騒然とさせるレースを繰り広げているのです。

 

今回も最後までご覧いただき、

ありがとうございました。

 

ではまた次回(^O^)/