自身も競争馬として非常に優れた才能を持ち、
ケガに泣き志半ばで引退した後には、
種牡馬としてそれを後継産駒たちにも余すことなく伝えた稀代の天才「ターントゥ」。
そしてそのターントゥと、
北米の逞しい活性血統を豊富に持った母との間に産まれ、
「名繁殖牝馬プラッキーリージの4×4」のインブリードをその体内に宿した、
幻の競走馬「ヘイルトゥリーズン」。
ネアルコ→ロイヤルチャージャー→ターントゥ→ヘイルトゥリーズンと続くサイアーラインからは、
2頭の偉大な種牡馬である「ロベルト」と「ヘイロー」が誕生しました。
今回の主人公は、
その一頭である、「ヘイロー」です。
彼はその体内に偉大な祖先から受け継いだ競走馬としての確かな資質と、
後に日本競馬界にも血統革命を起こす事になる、
天才的な「芝適正」を有した馬でした。
しかし反面、ヘイローは烈火の如き激しい気性を持った荒馬でも有りました。
彼を手掛けた調教師から「去勢されなかったのが不思議だった」と言われるほどに・・・
一歩間違えれば後の日本の、いや世界の競馬はガラリと変わっていたと思われます。
そんな彼がどのような現役時代を過ごし、
種牡馬としてどのような産駒を産み出していったのか。
今回はその軌跡を辿ってみたいと思います。
■ヘイロー(1969年 アメリカ産まれ)
父は「ヘイルトゥリーズン」。
母は超名繁殖牝馬「アルマムード」の娘である「コスマー」という馬でした。
アルマムードはその一族から数多の名馬を産み出している偉大なる母ですが、
特にヘイロー、そしてノーザンダンサーの祖母(ノーザンダンサーの母ナタルマも、
アルマムードの娘)として有名です。
コスマー自身もアメリカで活躍し30戦9勝という優れた競走能力を持った馬でした。
母の父は「コスミックボム」というアーリントン・フューチュリティなどを勝利した馬ですが、
こちらはコスマーを輩出した以外は目立った実績のない種牡馬です。
優れた名牝系の出身ながら父に異系の二流種牡馬を持った母、
という組み合わせを持ち、
そのアンバランスさと北米由来の逞しい血統を活性源にした馬でした。
(この非主流な血統がベースになっている事が、後に種牡馬としてヘイローが大成功を納める要因となりました。)
そんなヘイローはアメリカのイヤリングセールにて10万ドルの値段で落札され、
過去にも芝の名馬を育てた経験の有った、
2歳時はベルモントパーク競馬場でデビュー戦を勝利し、
2戦1勝の戦績。
明けて3歳時はダートの一般競走で3連勝を果たすと、
ダート戦のステークス競走に挑む事となりますが、
入着はあったものの、惜しいレースが続いてなかなか勝ちきれません。
秋以降はミラー調教師の判断で、
芝のレースにも出走するようになっていきます。
芝レースであるローレンスリアライゼーションステークス(芝12F)に出走させ、
久々の勝利を果たしました。
ダート路線でもヴォーターズハンデキャップ(ダート8F)に優勝して、
3歳時は17戦して5勝、2着が3回、3着が4回という戦績でした。
4歳時。
ヘイローはオーシャンポートハンデ(G3 芝8.5F)で3着に入着した意外に目立った成績を上げられず、
5戦して未勝利、2着が3回、3着が1回と戦績が低迷してしまいます。
そして、
イギリスで牧場を所有しているオーナーに60万ドルの値で購入されて、
一度は種牡馬入りする事が決まったのですが・・・
ここでヘイローに錯癖(さくへき ※ものを噛んで空気を飲み込んでしまうクセ。の癖がある馬はイギリスでは敬遠される傾向がありました。)
が有ることが判明し、
種牡馬入りの話は白紙となってしまいました。
一度は現役を引退したヘイローは、再び競走馬としてカムバックすることとなったのです・・・
競走馬としてもあまり高く評価をされていなかったヘイローですが、
この時点では「種牡馬としても価値がない」と思われていたのだから驚きですね。
5歳シーズン。
結果的にではありますが、
このシーズンが最もヘイローが競走馬として優れた成績を残したシーズンになりました。
7月に出走したアケダクト競馬場のタイダルステークス(G2 芝9.5F)では、
重賞勝ち馬数頭を相手に勝利。
8月に出走したサラトガ競馬場のバーナードバルークハンデ(G3 芝9F)では、
アメリカンダービー2着の強豪を相手に2着と健闘。
そして8月末に出走したアトランティックシティ競馬場のユナイテッドネーションズハンデ(G1 芝9.5F)では、
再び重賞勝ちの強豪馬複数頭を破って勝利し、G1馬となりました。
5歳時は7戦して3勝、2着が2回という戦績。
通算戦績は31戦して9勝、2着が8回、3着が5回という、
決して一流の戦績ではなかったものの、タフに走り抜けた競走成績でした。
■種牡馬としてのヘイロー
ヘイローは、カナダの名馬産家E・P・テイラー氏に購入され、
ウインドフィールズファームの米国メリーランド支場で種牡馬入りしました。
上記したようにヘイローは非常に気性が荒い馬で、
外に出るときには常に口輪を装着され、人や他馬に危害を加えないようにされていました。
しかし、彼の父であるヘイルトゥリーズンは従順な馬であったと言われていますし、
ヘイロー自身の荒い気性も生まれつきのものではなく、
調教の際に厩務員に半ば虐待のような乱暴な調教を受けていた為とも言われています。
(しかし、その気性の荒さは後に息子に受け継がれていくわけですが・・・(^_^;))
ともあれ、
一時は去勢の危機すらあったヘイローでしたが、
種牡馬としては非常に優れた資質を発揮して、
後世の競馬界に絶大な影響を与える産駒たちを輩出します。
1983年、89年には北米のリーディングサイアーにもなりました。
中でも、筆頭となる産駒はやはりこの馬でしょう。
■サンデーサイレンス(1986年産まれ)
現役時代も一流の競走成績を上げた馬で、
ライバルのイージーゴアと壮絶な戦いを繰り広げた3歳クラシック戦のエピソードが有名です。
3歳時に北米の年度代表馬となり、
通算戦績14戦して9勝、2着が5回という極めて優れた競走馬でした。
しかし・・・
彼の血統背景は「雑草の三流血統」という評価でした。
そのため近親や兄弟に活躍馬が多数いる良血馬のイージーゴアのほうが遥かに種牡馬としての期待値は高く、
結局サンデーサイレンスは日本に渡ることとなります。
彼の偉大な競走戦績や種牡馬としての活躍ぶりは、
ぜひ改めて書いていきたいと思っています。
父譲りの強い闘志と共に、
稲妻のようなスピードや切れ味を産駒に伝えた、
日本競馬史上最高最大の種牡馬ですから。
■グローリアスソング(1976年産まれ)
スピンスターステークスなどG1競走を4勝。
自身は「デヴィルズバッグ」、「セイントバラード」の全姉という、
超良血馬で、
母としてはジャパンカップを勝った「シングスピール(父:インザウイングス)」、
重賞勝ち馬の「ラーイ(父:ブラッシンググルーム)」、
日本で種牡馬として活躍しメイセイオペラなどを輩出した「グランドオペラ(父:ニジンスキー)」
などを輩出しました。
また「ヴィルシーナ」、「ヴィブロス」、「シュヴァルグラン」のG1馬姉弟たちも、
このグローリアスソングの牝系から誕生しています。
こちらも優れた競走馬でしたが、それ以上に極めて優秀な繁殖牝馬であった名牝ですね!
■デヴィルズバッグ(1976年産まれ)
2歳時に無敗の5連勝を飾り、アメリカ最優秀2歳牡馬に輝いた早熟の名馬です。
上記のように名牝グローリアスソングの全弟にあたる良血馬ですが、
この馬は何と言っても日本競馬史上の最強マイラーの呼び声も高い、
1998年の日本年度代表馬「タイキシャトル」の父として有名です。
また、「ロージズインメイ」の父父でもありますね。
■サザンヘイロー(1983年産まれ)
自身は重賞勝ちは有りませんが、種牡馬としては非常に優れた成績を残しています。
アルゼンチンのリーディングサイアーに9回輝き、
「南半球のサンデーサイレンス」とも言われているサイアー。
日本では「サトノダイヤモンド」の母母父として実績があります。
■グッバイヘイロー(1985年産まれ)
コーチングクラブアメリカンオークス、などG1競走で7勝を上げた、名牝馬中の名牝でした。
日本では名馬「キングヘイロー(父:ダンシングブレーヴ)」の母として有名です。
キングヘイローが良血馬と言われていたのは、父ではなくこの母の存在が大きかったですね。
ちなみにグッバイヘイローの母の父は「サーアイヴァー」という馬。
これはヘイローと同じくターントゥ系の馬で、母方にも共通の血を持っているので、
ヘイローとはよくニアリークロス(相似な血の掛け合わせ「≒」)で表現されます。
■その他優れた実績を残した産駒たち
●サニーズヘイロー(1980年産まれ)
ケンタッキーダービー、スーパーダービー、アーカンソーダービー、
コロネーションフューチュリティ、グレイステークスなど、20戦9勝
●ジョリーズヘイロー(1987年産まれ)
ドンハンデキャップ、イセリンハンデキャップ、ガルフストリームパークハンデキャップなど、20戦8勝
●セイントバラード(1989年産まれ)
現役時代はステークス競走など9戦4勝、2005年米リーディングサイアー
その体内に激しすぎる気性と名品系の優れた血と北米の逞しい異系血統を宿していた、
名馬ヘイロー。
その闘志と才能は当時の主流血統と結びついて、
様々な名馬を輩出しました。
しかし、ヘイローの最高傑作は、
父を凌ぐさらなる異系血統を持った母との配合によって、
後にアメリカで産声を上げることとなります。
段々と現代競馬の足音が近づいて来ましたね。
その話を書くのが今から楽しみです(^^)
ではまた。