血統入門【第18回】野性的聡明さを持つヴァイスリージェント

「英雄色を好む」

今でこそ世界の常識は「一夫一妻制」がほとんどの国での常識ですが、

むかしは権力を持った人物は、

それこそ国中から美女を集めてハーレムを作っていた時代が有りました。

 

私が好きな「三国志」でも、

随一の英雄、大物とされる曹操という権力者は、

特に色欲が強い人物として描かれている物語が多く見受けられます。

 

さて、今回はノーザンダンサー種牡馬の第4弾。

ここから凱旋門賞に向けて、

現在の欧州G1の超重要種牡馬である「サドラーズウェルズ」に至るまで、

一気に書いていきたいと思います。

 

ご期待ください(^^)

 

ヴァイスリージェント(1967年 カナダ産まれ)

ヴァイスリージェントは父にノーザンダンサー

母は名種牡馬「ヴィクトリアパーク」の半妹であるヴィクトリアレジナ。

そして全兄にカナダ年度代表馬ヴァイスリーガルを持つ良血馬でした。

 

生産者は父ノーザンダンサーや、三冠馬ニジンスキーを生産した、

カナダの伝説の馬産家E・P・テイラーです。

 

ヴァイスリーガルヴァイスリージェントの兄弟は、

E・P・テイラーが抱いた夢によって生み出されました。

 

テイラーが最初に所有したモナベルという牝馬がいましたが、

この牝馬は非常に優れた競争馬でした。

バンティローレスというカナダで19勝を上げた名馬のライバルとして、

何度も彼を負かしたモナベルは、当時のカナダ最強牝馬だったのです。

 

「引退後にはバンティローレスと交配する」と発表された彼女は、

しかしその発表のわずか一週間後に、

不運にもレース中の骨折で死亡してしまいます。

 

「バンティローレスとモナベルの交配によって、

チャンピオンホースを生産する」というところから始まった若きテイラーの生産者としての夢は、

モナベルの妹であるイリベルという牝馬に託されます。

 

夢を受け継ぐべく購入されてきたイリベルに、

テイラーはバンティローレスの息子であるウィンドフィールズという牡馬を交配します。

 

そして2頭の間に産まれてきた娘が「ヴィクトリアナ」という牝馬でした。

ヴィクトリアレジナの母、

つまり後のヴァイスリーガル、リージェント兄弟の祖母に当たる馬です。

 

さて、ヴァイスリージェント自身に話を戻します。

彼は、競走馬としても優れた成績を残した兄のリーガルと異なり、

脚部不安の影響もあって5戦2勝という生涯成績で、

年度代表馬である兄の存在があってこそ種牡馬入り出来た、

という感じの馬でした。

 

しかし・・・

ヴァイスリージェントは父ノーザンダンサーの活性力を強く受け継いだ、

兄を遥かに凌ぐ種牡馬となったのです。

この時はまだ、誰も知る由は有りませんでしたが。

 

種牡馬としてのヴァイスリージェント

ヴァイスリージェントは、

牧場で仔馬たちが産まれてくると種付けのシーズンが近づいたことを察知し、

急に性格が変わるという非常に賢い馬でした。

彼は自分のハーレムを見守るかのように、

目に入る牝馬や仔馬たちに優しい目を向けていたと言われています。

 

ノーザンダンサーの生物として、雄としての野性味や逞しさを最も受け継いでいたのが、

このヴァイスリージェントという馬でした。

 

種牡馬入り当初はその競走成績から全く期待されておらず、

三流牝馬に種付けされ、生産頭数も

21頭→11頭→15頭→10頭と非常に少ない頭数で不遇をかこっている状態でした。

 

しかし初年度産駒が5歳になった年。

この不遇の状況ながら、彼は一挙にカナダのリーディングサイアーの座に輝きます。

その後ヴァイスリージェントはその逞しい遺伝力を武器に、

1979年〜1989年の11年連続で、カナダのリーディングサイアーとして、

生産界に君臨することとなるのです。

 

そして、一頭の後継種牡馬ヴァイスリージェントの血を今日までしっかりと繋げています。

 

■デピュティミニスター(1979年 カナダ産まれ)

cdn-images.bloodhorse.com/i/bloodhorse-images/2...

カナダで産まれたデピュティミニスターは、

母系にもカナダのローカルな異系血統を持った競走馬、種牡馬です。

彼は、母の父に「バンティーズフライト」という馬がいる血統です。

 

バンティーズフライトは、ヴァイスリーガル、リージェント兄弟を生むきっかけになった、

あのバンティローレスの息子です。

 

デピュティミニスターはローレルフューチュリティ、ヤングアメリカステークスなどのレースを制して、

1981年にカナダの年度代表馬となった名馬です。

 

種牡馬入り後も優れた産駒を次々に送り出して、

1997年と1998年の北米リーディングサイアーとなりました。

 

優れた後継種牡馬も送り出し、

ヴァイスリージェントの血をしっかりと繋いでいます。

 

■デピュティミニスターの主な後継種牡馬

オーサムアゲインブリーダーズカップ・クラシック、クイーンズプレートなど)

 →日本ではローマンレジェンドミラクルレジェンド兄弟の母父、

 そしてルージュバックの母父として有名な馬ですね。

 

●タッチゴールド(ベルモントステークスなど)

 →ダート短距離の名馬フェラーリピサの父です。

 

デヒアホープフルステークスなど)

 →京阪杯を制したスプリンターのウエスタンダンサーの父。

 母父としては新潟2歳Sのモンストール、

 京王杯2歳Sボールライトニング

 平安Sなどを勝ったグレイトパールなどを出しています。

 

フレンチデピュティ

 →このサイアーラインが、圧倒的に優れた実績を上げています。

 フレンチデピュティは母父にプリンスキロ系の血を配合したことで、

 芝や長距離をこなせる産駒を多く出した、非常に柔軟性のある種牡馬です。

 →芝・ダートの両方でG1を勝ったクロフネ

 →天皇賞・春を制した上がり馬アドマイヤジュピタ

 →宝塚記念を制した上がり馬エイシンデピュティ

 →波乱の牝馬クラシックを演じた桜花賞レジネッタ

 などが代表的な産駒として日本で活躍しました。

またフレンチデピュティは母の父として、

ディープインパクトと非常に好相性なことで有名ですね!

ダート適性や芝での切れ味を伝え、

ゴールドドリームショウナンパンドラマカヒキレインボーライン

ノボバカラアニメイトバイオ、アンジュデジール・・・など多彩な個性を持つ馬の、

母の父となっています。

 

■母の父としてのデピュティミニスター

デピュティミニスターは母の父としても主にダートの適正を伝え、

アメリカのG1を制した産駒を多く出しました。

日本では代表的な馬として

カネヒキリ(父フジキセキ

マチカネニホンバレ(父シンボリクリスエス

ミスターメロディ(父スキャットダディ)

などの母父となっています。

 

ノーザンダンサー雄馬としての野性味を強く受け継いだヴァイスリージェント

しかしそんな彼のサイアーラインが最も栄えたのは、

配合相手の特徴を強く引き出して産駒に伝え、

まるで妻に尻に敷かれているかのごとく母馬を引き立てた、

孫の後継種牡馬フレンチデピュティでした。

 

時代に合わせて、

女が強い社会においても繁栄を続けているヴァイスリージェントの血。

「変化に強いものが生き残る」という格言通り、

生き残るための本当の強さを持った種牡馬だということは間違い無いでしょう。

 

 

今回も最後までご覧いただき有難うございました(^^)

ではまた次回で。