夏にスイカを食べる時に「もっと甘いスイカが食べたい」と思ったら、
皆さんはどうしますか??
不思議な話ですが、
おそらく多くの方がスイカの甘さを引き出すために、
しょっぱい塩を振りかけるのではないかと思います。
また数年前に、
やたらと「塩キャラメル」とか「塩バニラ」といったように、
塩で甘さを引き出すようなお菓子が流行りましたね。
血統の世界においても、
同じようなことが有りました。
保守本流の英血という「甘さ」を維持、発展させるために、
同じような血で「甘さ×甘さ」の配合をかけ合わせ続けた結果、
すでに限界値を迎えている甘さはそれ以上引き立てられることはなかった。
あるいは最悪の場合、
甘さが濃くなりすぎて体に悪影響が出るようになってしまっていた。
そこへ遠い異国の地で育まれた北米の血という「塩」が加わることで、
英血本来の甘さが引き立てられるばかりか、
「旨さ」の要素も加わってより一層本来の魅力が引き立つことになった。
世界中に血統の旋風を巻き起こし、
またたく間にサラブレッドの血統の主役の座に君臨したノーザンダンサー。
彼はまさに、そのような絶妙なバランスの組み合わせで生まれたスーパーホースでした。
今回は、彼の種牡馬としての繁栄の様子を見ていきたいと思います。
1965年。
地元カナダのウインドフィールズファームで種牡馬としての生活をスタートします。
初年度の種付け料は1万ドル。
決して高い評価を受けていたわけでは有りませんでした。
当時、世界の競馬界でトレンドだったネアルコ系の主流は「ナスルーラ系」であり、
アメリカにおいてはその直系である「ボールドルーラー系」が全盛でした。
ここでも、やはりノーザンダンサーが「父ニアークティック」というネアルコ系の中でも「田舎の傍流血統」の馬だったことが、
彼の評価を不当なものにしてしまったのです。
しかしそれから5年後の1970年。
2年目の産駒である名馬「ニジンスキー」が英三冠馬に輝いたことで、
ノーザンダンサーは世界からの注目を集めることとなります。
そして奇しくもその時ボールドルーラー系は、
父系としての繁栄の終わりを迎えようとしていた頃でした・・・
ニジンスキーを筆頭とした産駒たちの活躍により、
この年、ノーザンダンサーは英リーディングサイアーの座を射止めます。
そしてその翌年である1971年には、
米リーディングサイアーに輝きました。
優れた種牡馬の条件として、
「異なる適正を問われる2つ以上の地域で活躍すること」
すなわち血の可変性や適応能力が求められますが、
ノーザンダンサーは当時競馬が最も高いレベルで行われ、
かつ全く異なる適正を求められる2つの地域でリーディングサイアーとなったのです。
その威力の凄まじさが分かります。
もう一つ、ノーザンダンサーの凄まじさを物語るデータがあります。
それは彼の「生涯出生産駒頭数」です。
ノーザンダンサーは毎年の種付け頭数を30頭ほどに絞っていたため、
生涯でわずか「635頭」の産駒しか輩出しませんでした。
その中で極めて優れた競争能力と、
それを凌ぐ種牡馬としての繁栄力を持った産駒を、
数多く出して系統を築いていったのです。
それも、決して同じ適性や能力が求められる一地域のみではなく、
イギリスやアイルランドといった欧州地域、アメリカやカナダなどの北米地域、
オセアニア大陸、日本・・・と世界中の地域で。
非常に優れた産駒成績と、産駒たちの種牡馬成績が積み上げられていきました。
どの国の気候風土にも順応し、いかなる競馬システムにも、劣悪な環境にも耐える力を、
ノーザンダンサーは持っていました。
「極めて強い遺伝力と高い順応性」
それが、彼が世界に血統旋風を巻き起こすことになった大きな理由だったのです。
レースでもかなり走る。
そしてかなりの割合で引退後は種牡馬としても活躍してくれる。
大富豪の馬主たちは、名誉のために惜しげもなくノーザンダンサーの血に大金を注ぎ込んだと言います。
産駒のせり価格、種牡馬価格、種付け料などは以上に高騰し、
新聞やテレビのニュースを賑わし、時には政治や経済にも影響を及ぼしました。
競馬の枠を超えて、まさに社会現象的な存在として、
ノーザンダンサーはサラブレッド史上最高の成功をおさめた馬となっていきました。
■ノーザンダンサーの血統
彼の偉大さを十分踏まえた上で、その血統について見ていきましょう。
ノーザンダンサーは5代内に今まで登場した主人公たちである「ゲインズボロー⇒ハイペリオン」、「ファラリス⇒ネアルコ」、そして今後取り上げる事になるミスプロの祖「ネイティヴダンサー」といった、
世界的根幹種牡馬の血を持った異系配合の馬です。
そして前編で記したように、
父ニアークティックはカナダ産馬ながら欧州の一流血統である「ネアルコ×ハイペリオン」の配合で誕生した馬。
母ナタルマは北米土着の「ネイティヴダンサー」と北米の名牝「アルマムード」の間に生まれた馬。
つまり「世界的根幹種牡馬の血の掛け合わせ」でもあり、
「欧州の名門血統と北米の活性血統の化学反応」
で誕生した馬がノーザンダンサーという馬なのです。
■ノーザンダンサーの後継たち
彼はその順応性の高さによって、
非常に多彩なジャンルの優駿、後継種牡馬を世界中で輩出しました。
なので我々が血統予想や一口出資の馬を決めるときなどは、
その産駒の活躍地域や系統の特徴、得意舞台などをしっかりと区別した上で、
判断する必要があります。
その順応性と可変性の高さ故に、
同じ「ノーザンダンサーの後継」と言っても、
系統により全く異なった特徴を持っているので要注意です。
以下に、
生産年代ごとのノーザンダンサーの産駒たちの現役時代の勝ちレースと、
系統の主な活躍地域、レース適正をハッシュタグ形式で記載します。
ぜひ参考にしてください!
(わかりやすいように、色分けします。)
【1967年生まれ】
●ニジンスキー(13戦11勝 英三冠、KG6世&QES、愛ダービー、英愛1986年リーディングサイアー)
#欧州 #芝中長距離
●ヴァイスリージェント (5戦2勝、加1979-89年リーディングサイアー)
#北米 #ダート
【1969年生まれ】
●リファール(12戦6勝、フォレ賞、ジャック・ル・マロワ賞、仏1978,79、米1986年リーディングサイアー)
#欧州 #芝マイル〜中距離
【1971年生まれ】
●ノーザンテースト (20戦5勝、フォレ賞、日1982-92年リーディングサイアー)
#日本 芝マイル〜中距離
【1974年生まれ】
●ザミンストレル(9戦7勝、英愛ダービー、KG6世&QEDS)
#欧州 #芝中長距離
●ビーマイゲスト(7戦4勝、英愛1982年リーディングサイアー)
#欧州 #芝中長距離
【1976年生まれ】
●ファビュラスダンサー (Fabulous Dancer) 8戦4勝、仏1992年リーディングサイアー
#欧州 #芝中長距離
【1977年生まれ】
●ダンチヒ(3戦3勝、米1991-93年リーディングサイアー)
#北米 #ダート
#欧州 #芝短〜中距離
●ヌレイエフ(3戦2勝、仏1987,97年リーディングサイアー)
#欧州 #芝マイル〜中距離
【1978年生まれ】
●ストームバード(6戦5勝、デューハーストステークス、英愛最優秀2歳馬)
#北米 #ダート
【1981年生まれ】
●サドラーズウェルズ(11戦6勝、愛2000ギニー、エクリプスステークス、仏1990,93,94,英愛92-2004年リーディングサイアー)
#欧州 #芝中長距離
【1982年生まれ】
●フェアリーキング (Fairy King) 1戦0勝、1996年仏リーディングサイアー
#欧州 #芝短距離〜マイル
※上記はあくまで「主な」活躍舞台なので、
もちろん例外もありますのでご了承ください。
ただ、なんとなく後継馬たちのイメージを掴んでもらえるのではないかと思います。
ノーザンダンサー系は現在に至るまで大繁栄しているので、
後継馬自身の競走馬や種牡馬としての活躍、
そしてそのまた息子たちの活躍まで書いていこうとすると、
凄まじい量の文字数が必要になってきます(笑)
それはまた、
ゆっくりと時間をかけて優先順位を決めながら書いていこうと思っています。
最後に・・・
これだけ優れた種牡馬であり、
産駒たちが大繁栄したノーザンダンサー。
しかし今まで大繁栄しては衰退してきた歴史的種牡馬たちとは、
決定的に違う点があります。
不思議な事に「母父ノーザンダンサー」という馬は、
種牡馬としてほとんど成功しておらず、
アルゼンチンでリーディングサイアーとなった「サザンヘイロー」くらいだと言われています。
日本でも、競走馬として大活躍したビワハヤヒデ、ナリタブライアンの兄弟が、
種牡馬としては全く後継を残せませんでしたね・・・
驚異的な遺伝力と繁殖力を持ったノーザンダンサー。
母父として優れた後継種牡馬を出さないこともまた、
彼が自身の父系(サイアーライン)を発展させ、維持していくための策略だとしたら。
どれだけ恐ろしく計算高い血を持った馬だったのでしょうか。。。
彼の系統の繁栄に、今後も我々競馬ファンは目を離せませんね。
今回も最後までご覧いただき、
誠に有難うございました(^^)
ではまた次回。