血統入門【第2回】悲劇の革命者セントサイモン

さて、今回は第2回。

ここから、後世に特に多大な影響を与えた大種牡馬の紹介を行っていきます。

「100年以上も前の種牡馬を知って、なんか今の競馬に関係あんの?」

と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、

「関係ありまぁす!!(古い)」

結局血統というのは優れた一部の種牡馬からの分岐と淘汰の繰り返しの歴史ですので、

歴史の中に消えた幾多の種牡馬について知る必要まではありませんが、

大系統を築いて、世界に覇を唱えてきた大種牡馬を辿って知ることは重要ですし、

やはりどの種牡馬がどの国で適性を示して、

どのような産駒を出して系統を築いてきたのかという部分を把握すると、

しっかりと種牡馬や血統のキャラクターや適正がイメージできます。

 

競馬予想においてはいろいろなファクターがありますが、

やはり血統を知っているか知っていないかで、

全く面白さも変わってくると考えているので、是非過去の大種牡馬についても概要を知って頂いて、

今の子孫たちにどう繋がっていくのかを一緒に見て行って頂きたいと考えます。

 

今日は100年以上前に活躍した競走馬、種牡馬ながら、

競馬ファンの多くの方が一度は耳にしたことの有るセントサイモンについて、

書いていきます。

 

 

セントサイモン1881年 イギリス生まれ)

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イギリスが生んだ「19世紀最大の種牡馬セントサイモン

 

当時の時代背景と大英帝国のプライドによる「血の閉塞」に翻弄された彼は、

しかしその血統的影響力、遺伝力の強さで今日のほとんどのサラブレッドの血統表の奥で、

その偉大なる底力を与え続けています。

 

セントサイモンの父系は傍流ではありますが、

第1回で紹介した3大始祖のうちのダーレーアラビアン系=エクリプス系」の流れをくんでいます。

 

1881年生まれ。

この時代にフランスで人気だった社会思想家の「サン・シモン」から、

その名をつけられたと言われています。

 

セントサイモンは競走馬としてデビューすると、

10戦不敗のまま最強神話を作って引退しました。

当時の人々はセントサイモンが「いつ負けるか」ということは考えず、

「何馬身突き放して勝つか」というのが、その興味の対象でした。

その期待を裏切ることなく、引退レースでは2着馬を20馬身以上ぶっちぎる圧勝でターフを去りました。

 

「エクリプスの再来だ・・・!」

当時の人々はセントサイモンの奇跡的な強さを目の当たりにし、

口々にそう讃えたと言います。

 

そしてセントサイモン種牡馬入りへ・・・

それは「第一次血統革命」の幕開けでした。

 

初年度産駒が四歳となった1890年、

彼はイギリスのリーディングサイアーに輝くと、

その後合計で9度もその座を独占しました。

 

種牡馬として「セントサイモンとそれ以外」という分類をされ、

とにかく活躍するのは明けても暮れてもセントサイモンの子ばかり、

という状態が続いていました。

 

・・・というと、どこかで聞いたことが有るような話だなあ

という印象を受ける方もいらっしゃるでしょう。

そうです。まさに日本で血統革命を起こし、

日本競馬史上最高の種牡馬であったサンデーサイレンスのような存在だったのです。

 

 

セントサイモンはその後継種牡馬たちも血の威力を発揮し、

1910年代の前半頃は種牡馬ランキング上位の半数を、

セントサイモン系の後継種牡馬たちが独占している状態でした。

まさに当時国としても最も強大であり、

競馬先進国としても君臨していた大英帝国=イギリスの一時代を築いた存在でした。

 

しかし「盛者必衰の理をあらわす」とは良く言ったもので・・・

そんなセントサイモンにも、

やがて衰退の時期が訪れます。

 

その原因は皮肉にも、

「自身の血同士の競合」

そして「近親交配による血の警告」によるものでした。

 

当時のイギリスは、

競馬の血統と繁殖に関して非常に鎖国的でした。

「イギリスの正当な血以外はサラブレッドに非ず」といった考えのもとで、

その優れた血を純粋なまま保とうとして、

非常に狭い世界で、類似な血による近親交配を繰り返していたのです。

 

そしてセントサイモンの遺伝力は、強大すぎました。

その血の力は凄まじく、父系としてだけではとどまらず、

母方に入っても、その素晴らしい競走能力を子孫たちに与えました。

 

セントサイモンを母の父に持ったサラブレッドたちは、

他の系統の種牡馬を父に持ちながら、

セントサイモンの後継種牡馬の産駒以上の活躍を見せたと言われています。

今までセントサイモンの優秀さに虐げられてきた異系の血統たちが、

セントサイモンの力を借りることで、

前以上の力と勢いで息を吹き返し始めたのです。

 

そうしてどんどん他の系統の種牡馬たちに活躍の場を奪われたセントサイモンの系統は、

やがてリーディングのランキングからも姿を消します。

 

1930年代には、

父系としてのセントサイモンのラインは見る影もないほど勢いを失ってしまっていました。

 

しかし、上記したようにセントサイモンは「非常に優れた遺伝力」を持った種牡馬です。

当然血統表から姿を消したのではなく、

サラブレッドの「母系」や「父の母系」に入り、

影響力を保ちつづけました。

 

この時代の殆どのサラブレッドが、

父方か母方にセントサイモンの血を持っていたのです。

 

そしてセントサイモンの偉大な血は、

「3×4のインブリード(=奇跡の血量18.75%理論)」により、

新たな革命的名馬を生み出します。

 

それは、第3回以降でご紹介することにしましょう。

 

時代と大英帝国のホースマンの誇りによる「血の鎖国」に縛られて、

系統の大繁栄と衰退の両方を味わったセントサイモン

 

現在でも彼の血は、世界中のサラブレッドの血統表の奥に存在して、

後世の名馬たちに影響を与え続けています。

 

最後までご覧いただき有難うございました。

ではまた(^^)