1869年
イタリアのトリノの地で資産家の家庭に生まれた少年がいました。
少年はやがて成人となり、
イタリア陸軍の騎兵士官として軍役を終えた後に、
29歳の若さでミラノ北部マッジョーレ湖の近くに「ドルメロ牧場」という小さな牧場を開きます。
ちょうどセントサイモンがイギリスで「血統革命」を起こしていた時期と重なっており、その血の影響力の偉大さを伝え聞いていた彼も、
「いずれは自分もかのような馬を生産したい・・・」と希望に燃えていました。
そこから時は流れておよそ40年・・・
彼は、夢にまで見たセントサイモンの血が凝縮された配合によって誕生した一頭の競争馬でイタリアから海外に遠征し、
イギリスやフランスの強豪を見事に破って「イタリアに偉大な馬産家がいるぞ」と世界に名を知らしめることになります。
その馬産家の名は「フェデリコ・テシオ」
「ドルメロの魔術師」の異名をとった彼は、
世界に名を知らしめることとなった天才競争馬で今日のサラブレッドの祖と言われている大種牡馬「ネアルコ」の生産者として、
今もなお語り継がれています。
そして彼は世界に最大級の血統革命を巻き起こすことになった「ネアルコ」の他にも、
「リボー」や「ドナテロ」など歴史的な名馬を世に送り出しました。
そんな偉大な馬産家の最高傑作であるネアルコが、今回の主人公です。
紀元前のギリシャに実在した画家・陶芸家であった人物からその名をつけられたと言われているネアルコ。
その名の通り素晴らしい産駒という「作品」を世界中に拡大させた一頭のサラブレッドについて、
ご紹介をしていきたいと思います。
■ネアルコ(1935年 イタリア生まれ)
競馬後進国であったイタリアで生産された馬でした。
とは言っても血統は英国血統が主体の構成となっていて、
上に書いたようにセントサイモンの血が凝縮された配合によって生み出されています。
父ファロスは大種牡馬ファラリスの産駒。
「ファラリス×チョーサー」のスーパーニックスで生まれた馬でしたね。
実は、ネアルコがイタリアで生まれたのにはちょっとした運命的な話があります。
父ファロスは競走馬としても十分優れた中距離馬でしたが、
全弟に更に競走成績に優れた「フェアウェイ」という馬がいました。
優れた弟と全く同じ血統であったファロスは、
弟の種牡馬入りとともにお払い箱にされてしまい、
イギリスからフランスに都落ちする形で輸出されます。
イタリアと地続きだったフランスに出されたことで、
ネアルコの母ノガラ(この馬も自身の競走成績がイタリアでG1を含めて16戦14勝。非常に優れた競走馬でした)にファロスが種付けを行われます。
そうして、
世界の血統の地図をガラッと塗り替えることになる、
ネアルコは競走馬としても天才でした。
イタリアを中心に14戦全勝という完璧なキャリア。
イタリアダービーや2000ギニー、ミラノ大賞典、そして海外の強豪馬が揃ったパリ大賞典などを制しています。
パリ大賞典では英ダービー馬ボワルセル、仏ジョッキークラブ賞馬シラ、仏ディアヌ賞優勝馬フェリーなどの海外の強豪馬を退けて優勝を果たしました。
英仏の強豪を退けたイタリア産馬の優勝。
当時の競馬ファンたちはその事実に衝撃と感動を覚え、
もう、当時の競走馬への最高の賛辞なんですねえw
「セントサイモンの再来だ!!」と褒め称えたと言われています。
競走馬としても伝説的な強さを誇ったネアルコ。
種牡馬入りしてからは更に凄まじい活躍を見せ、
世界中にその血を広げて後世にその名を轟かせることになりました。
1947年〜49年の3年連続で英リーディングサイアー。
優れた種牡馬は多彩な産駒を出すことが求められますが、
ネアルコも速い馬、スタミナ豊富な馬など多彩な産駒を送り出しました。
現在の日本競馬で重賞を制覇している馬のほとんどは、
父系祖先にネアルコを持っている馬です。
それもそのはず・・・
ネアルコは
●大繁栄して一大系統を築いた「ナスルーラ」
●日本で血統の歴史を塗り替えたブライアンズタイムやサンデーサイレンスなどの祖「ロイヤルチャージャー」
などの産駒を輩出した種牡馬なのです。
これらは我が国日本のみならず、現在世界中で「主流血統」と言われている系統です。
そんなネアルコも、父系こそセントサイモンの系統では有りませんが、
父方にも母方にもセントサイモンのインブリードを持つ「セントサイモン凝縮血統」の馬です。
偉大なるセントサイモンの血は、ネアルコという大種牡馬を通じて、
現在世界中で活躍しているサラブレッドの底力の源泉となっているのです。
今回も最後までご覧いただき、
誠にありがとうございました。
いよいよ次回はヨーロッパを飛び出し、
激動の開拓地アメリカを舞台に大繁栄した種牡馬の活躍を書いていきます。
ではまた(^^)