一つの地域で発展し洗練されてきた血に固執することで、
同じような近い血の交配を続けてしまうと、
一時的に優れた血の凝縮と固定化によって天才を生み出せても、
やがてそれらの血統は活力を無くして衰退の道をたどっていきます。
今まで書いてきたように、
19世紀〜20世紀前半のイギリスは「保守本流の名門血統」のみを正統なサラブレッドとして認め、
イギリス血統のみの交配で新たな天才を生み出そうとしたため、
やがて競馬先進国としての主役の座を北米地域に明け渡す事になってしまいました。
そして北米競馬の多大なる躍進の立役者となったのが、
「ナスルーラ」や「ノーザンダンサー」という根幹種牡馬でしたね。
今回の主役は、前回の主役ノーザンダンサーから少しだけ血統表をさかのぼります。
彼の種牡馬としての大繁栄の原動力となった馬であり、
自身も後にミスタープロスペクターという大種牡馬を通じて、
世界にその名を広め、刻み込む事となる偉大なサラブレッドのお話です。
ネイティヴダンサーのことを書くにあたって、
少し順序が逆になっても、先にノーザンダンサーのことを先に書いて、
「そのノーザンダンサーの母の父として血の活性化を担った馬」
という紹介をしたほうが、よりネイティヴダンサーの存在の大きさが、
より際立つと考えました。
そして後に書く素敵なエピソードを通じて、
その関連性の大きさをより強く感じてもらえたら幸いです。
※イメージをつかみやすくするために、出生地域も記載する事にしました。(過去記事にも追記しています。)
血統入門【番外編】日米欧の違いはぜひ知っておいてほしい - 競馬の梁山泊
↑以前こちらの記事でお話したように、アメリカの競馬はその地域性に沿って、
「ビジネス」としての側面を強く持ちながら開催され、発展していきました。
早くからレースに出走させて活躍してもらい、
賞金を稼がせたいというニーズを持った馬主が多く、
それに合わせて2歳戦が重視され高額賞金レースが数多く施行される。
興行として人々が楽しみやすく、かつ維持に手間とコストのかかりにくい楕円形の小さいトラックのダートコースで、スピード能力を追求される。
そういった「地域性と時代のお膳立て」を受け、
2歳時にフューチュリティSやホープフルSなどの大レースを含む9戦9勝という素晴らしい成績を上げて、
「当時の2歳戦獲得賞金の世界記録」を打ち立てたネイティヴダンサー。
3歳になっても勝ち続けの無敵状態でしたが、
ケンタッキーダービーで生涯唯一の不覚をとり2着に敗れます。
しかしその後は圧倒的な強さとスピードで全勝。
生涯で22戦21勝という素晴らしい戦績を残して引退しました。
当時、テレビはまだモノクロの時代でした。
その速さと強さがファンの心を掴み、
そして一戦ごとに白くなっていくネイティヴダンサーが疾走する姿を見て、
人々は「グレイゴースト(灰色の幽霊)」という愛称で、
この芦毛の英雄を讃えました。
そして・・・かつて同じくアメリカの人々に愛され、
「軍艦」という愛称で親しまれた「マンノウォー」という馬がいたのですが、
面白いことにこの馬もまた、
圧倒的な強さを誇りながら生涯戦績21戦20勝。
生涯で唯一、サンフォードメモリアルSというレースで大きく出遅れて2着に敗れています。
この時マンノウォーを負かした馬が「アップセット(番狂わせ)」という名前の馬。
そしてネイティヴダンサーが唯一負けた相手が、「ダークスター(不吉な星)」という、
ともに思わせぶりな名前の馬でした。
奇遇な共通点。
アメリカの人が好きそうな逸話ですね(笑)
ネイティヴダンサーは北米由来の「アメリカの先住民的血統」の馬でした。
当時のイギリスの血統を「英国の伝統的名門血統」とするのであれば、
いわゆる「逞しい雑草血統」という立ち位置の血統です。
父「ポリネシアン」はシックル系(シックルはハイペリオンの回で紹介した「父ファラリス×母父チョーサー」の組み合わせで生まれた、ハイペリオンの半兄でしたね)
母は「ディスカバリー」という種牡馬の産駒であるゲイシャという馬でした。
このディスカバリーというのがまたすごい馬で、
2歳〜5歳の間にアメリカでキャリアを積むこと実に63戦。
過酷な斤量を背負わされても全くへこたれずに27勝の勝ち星を積み重ね、
「鉄の馬」と言われたスーパーホースでした。
ネイティヴダンサーの逞しさの源泉はこの馬であると考えられます。
狭い世界の交配の繰り返しで活力を失いかけたイギリスの名門血統たちは、
ネイティヴダンサーの逞しい北米の活性血統との配合により、
次々に息を吹き返して素晴らしい競走馬を輩出していきました。
そしてその最もたる代表例が、
「父ニアークティック×母父ネイティヴダンサー」の配合で生まれたノーザンダンサーなのです。
ノーザンダンサーの世界制覇の要因はいくつもの理由がありますが、
第一にこの「母父ネイティヴダンサーの北米活性血統の存在が原動力となった」ことが上げられます。
そして今日、
ネイティヴダンサーはノーザンダンサーのアシスト役にとどまらず、
父系としても世界中にその血を拡大して子孫たちが活躍しています。
そしてそのレイズアネイティヴから、
世界的大種牡馬となる「ミスタープロスペクター」が生まれることとなったのです。
また後に書いていくことになりますが、
このミスタープロスペクターはみなさんもご存知の通り、
多彩な適性を持った素晴らしい後継種牡馬たちを通じて、
世界中の競馬で系統の馬が活躍しています。
今や世界の主役血統とも言える「ノーザンダンサー系」と「ミスタープロスペクター系」。
その始祖として現代の競馬に多大な影響を与えることとなったのが、
今回の主役であるネイティヴダンサーだったのです。
最後に、
ノーザンダンサーにまつわるエピソードをご紹介して、
今回の終わりとしたいと思います。
その母の名は、そのまた母であるネイティヴダンサーの祖母「ミヤコ(都)」から連想して、
馬主が名付けたと言われています。
日本舞踊の踊り子をイメージして名付けられた母のゲイシャ。
その息子としてネイティヴ「ダンサー」と名付けられ、
ネイティヴダンサーの孫であるノーザン「ダンサー」(北の踊り子)から、
「ニジンスキー」や「ヌレイエフ」と言った、
ロシアの舞踏家の名前をつけられる優秀な産駒が誕生することとなります。
ノーザンダンサーは祖父(母の父)であったネイティヴダンサーから、
その活力満載の血だけでなく、
素敵な名前も受け継いでいたんですね。
今回も最後までご覧いただき有難うございました(^^)
ではまた。