奇跡の血量と言われる「○○の3×4のインブリード」という配合。
サラブレッドの配合の歴史は「近親配合の繰り返し」で、
「優れた血同士の掛け合わせをして、
その理念のもとに、時には恐ろしいほど近い血(半兄妹同士など・・・)の掛け合わせも行われていたと言われています。
第2回でご紹介したように、
19世紀後半のイギリスにおいて「始祖エクリプスの再来」と言われ、
最高レベルの競走能力と繁殖能力で、
後世にも絶大な影響を与えているセントサイモン。
当然、そのセントサイモンの「3×4の配合」も多くのサンプルが試されました。
そんな中、1918年にイギリスの競馬界にちょっとした異変が起きます。
すっかり傍流に追いやられていた父系から、突如「ゲインズボロー(Gainsborough1915)」という三冠馬が誕生するのです。
ゲインズボローの誕生は、セントサイモンの父系としての衰退の予兆とも言える出来事でした・・・
さて、今日の主人公は当時のイギリスの生産者が異常なまでに執着し、
世紀の名馬の再来を願って配合を続けた「セントサイモン3×4」の組み合わせによって誕生しました。
父系としては傍流の「ハンプトン系」の血をもつ三冠馬ゲインズボローの息子、
「ハイペリオン(Hyperion1930)」です。
■ハイペリオン(1930年 イギリス生まれ)
父母母父と母母父にセントサイモンの血を持つ馬です。
そしてこの馬の母「シリーン(Selene1919)」がこれまた凄まじい名繁殖牝馬で、
自身の競走成績が22戦16勝。
産駒としては
●ネイティブダンサー→ミスタープロスペクターの祖である「シックル」(1924年生まれ、父ファラリス)
●メノウ→トムフール系の祖である「ファラモンド」(1925年生まれ、父ファラリス)
●南米で種牡馬になり優れた産駒、後継種牡馬を輩出した「ハンターズムーン」(1926年生まれ、父ハリーオン)
などハイペリオンの以前にも、
後世に名を残す偉大な半兄たちを輩出しています。
そして第3回でご紹介しましたが、
シックルとファラモンドは「ファラリス×チョーサー」のスーパーニックスから誕生した名馬でしたね。
つまり超名繁殖牝馬シリーンの父がチョーサーなのです。
本当にこの馬は、母父として素晴らしい産駒を出していたんですねえ。
ハイペリオンは体つきが貧弱でとても小さな馬でした。
背の高さが標準的な馬と比べて5センチ、大型馬より10センチも低かったそうです。
そのあまりの小ささに、当時の人はハイペリオンのデビュー戦のパドックで、
「ポニーが混ざってるぞwww」とあざ笑ったという話です。
しかしそんなハイペリオンは実戦を通してその潜在的強さを存分に見せつけ、
ついに英ダービーでは1番人気となりました。
そしてその人気に見事に応え、直線で並み居る大型馬を退けて先頭に躍り出ると、
あとは余裕でゴールを駆け抜けました。
優勝タイムはレコード。
人々はその走りを目の当たりにして、
「セントサイモンの生まれ変わりがついに誕生した!!」と狂喜乱舞しました。
大型馬が絶対的に有利と考えられていた当時のイギリス競馬界でのこの快挙は、
人々の心により強く印象付けられたのです。
しかし、そんな名馬でも種牡馬としての成功なくして、
後世にその名を残すことはできません。
後の世に多大な影響を与えるハイペリオンはその競走成績以上に、
種牡馬として期待以上の成績を残すことになったのです。
素晴らしい遺伝力でその能力を産駒たちに伝え、
英リーディングサイアーに合計6回も輝きました。
その血はイギリスを飛び出して世界へ広がり、
それぞれの国で大成功して父系として発展しました。
(「世界中で活躍できる産駒を輩出する」ということも、歴史的名種牡馬に求められる条件ですね。)
本質的にはイギリスの保守本流のスタミナ血統ですが、
各地域で対応できる優れたスピードを内在していたことが、
ハイペリオンの種牡馬としての成功の要因だったと言われています。
そしてセントサイモンの生まれ変わりとは良く言ったもので、
「母系に入ってよりその絶大な影響力を発揮する」タイプの種牡馬でした。
母の父として
世紀の大種牡馬ノーザンダンサーの父「ニアークティック(Nearctic1954)」
アメリカの三冠馬「サイテーション(Citation1945)」
イギリスの名ステイヤー「アリシドン(Alycidon1945)」
などを輩出しました。
日本でも成功した種牡馬にも、
ノーザンテースト、テスコボーイ→トウショウボーイ、トニービンなど、
ハイペリオンを母系(または父系と母系の両方)に持ち、
重大な影響を受けていた馬が多くいます。
そして皮肉にもセントサイモンと同じく、
ハイペリオンの父系としての繁栄も、
自身が母系に入ってアシストした他の系統によって追いやられる事となります・・・
偉大なる大英帝国で生まれた保守本流の英血であるハイペリオン。
その血を押しのけてさらなる隆盛を誇るようになった血は、
当時から競馬後進国と言われていたイタリアで誕生します。
次回以降は、いよいよ現代競馬に直結するような系統の大種牡馬たちのお話になってきます。
しかしその影の立役者として、
セントサイモンやハイペリオンの大きな存在があったということは、
ぜひ知っておいていただきたい事実です。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
では、また次回もお願いします(^^)